2011年12月20日火曜日
写真における調和と違和感
鬼子母神の紅葉 posted by (C)nonkuri NEX-5 + Sonnar T* E 24mm F1.8 ZA SEL24F18Z
ときどきカメラ雑誌や写真集などで写真を観るのですが、好きな写真というのは、やっぱり何らかの傾向があります。
美しい風景や花の写真、女性のポートレートなどは、確かに美しいとは思うのですが、のめり込めるものを感じません。
で、自分が好きな写真について、考えてみるとですね。
個人的には、「調和と違和感」がある写真に心が惹かれることに気付きました。
例えば、調和のとれた構図で、写真の内容に不思議な違和感があるもの。
有名な例で言えば、ブレッソンの「決定的瞬間」などですね。
なんてことを考えているうちに、落語家の桂枝雀さん(2代目)が笑いの理論として唱えていた「緊張と緩和」というものを思い出しました。
この「緊張と緩和」という理論は、「笑いは緊張が緩和するときに生まれる」というものです。名前から察しがついたかと思いますが、まぁ、そのままですな。
より具体的な例を挙げるならば、大喧嘩の最中に(緊張しているときに)2人でおならをする(緩和する)、とか、そういうことです。
笑いに限らず、「緊張と緩和」というのは人を惹きつけるのではないかと思ったわけです。
そして、「調和と違和感」というのは、「緊張と緩和」を生むのではないかとも。
違和感が緊張を生み調和が緩和を生むのか、あるいは調和が緊張を生み違和感が緩和を生むのか、そのあたりが自分でも判断つきかねる部分があるのですが(あるいはどちらのタイプの写真もありうるのかもしれませんが)、なんだか関係がありそうな気がしませんか?
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