風鈴 posted by (C)nonkuri EOS Kiss X2 + EF-S 17-55mm F2.8 IS
『日本辺境論』を読んで以来、内田樹さんのブログ(「内田樹の研究室」)をよく読むようになりました。
基本的にあまり疑問を持たずに生きている人間なので、ふむふむと感心しながら読むことが多いのですけど、
「池谷裕二さんの講演を聴く (内田樹の研究室) 」
で、ちょっと気になることがあったので書いてみます。
以下、しばらく引用。
スワヒリ語の単語40語を学習して、それから覚えたかどうかテストする。
という単純な実験である。
ただし、4グループにわけて、それぞれ違うやり方をする。
第一グループはテストをして、一つでも間違いがあれば、また40単語全部を学習し、40単語全部についてテストをする。
それを全問正解するまで続ける。
いちばん「まじめ」なグループである。
第二グループは、間違いがあれば、間違った単語だけ学習し、40単語全部についてテストをする。
第三グループは、間違いがあれば、40単語全部を学習し、間違った単語についてだけテストをする。
第四グループは、間違いがあれば、間違った単語だけ学習し、間違った単語についてだけテストをする。
これがいちばん「手抜き」なグループである。
全問正解に至るまでの時間はこの4グループに有意な差はなかった。
まじめにやっても、ずるこくやっても、どの勉強法をしても、結果は同じなのである。
ところが、それから数週間あいだを置いて、もう一度テストをしたら、劇的な差がついた。
「まじめ」グループの正解率は81%。「手抜き」グループの正解率は36%。
まあ、これは天網恢々粗にして漏らさずというやつである。
さて、問題は、第二グループと第三グループはどういうふうになったかである。
第二と第三はやったことがよく似ている。勉強に割いた時間も変わらない。にもかかわらず、大きな差がついた。
さて、どちらが正解率が高かったでしょう。
1分間考えてね。
第二グループの正解率は81%(「まじめ」グループと同率)。
第三グループの正解率は36%(「手抜き」グループと同率)。
これから何がわかるか。
「学習」は脳への入力である。
「テスト」は脳からの出力である。
つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。
これはですね。ちょっと違うのではないかと個人的には思います。
どこが、というと、
『「テスト」は脳からの出力である。』
という部分。
テストは脳からの出力であると同時に入力である、のではないかと思うのです。
一般的にテストの方が真剣に取り組みますから、入力の時点で差がついているだけなんじゃないのかな、と。
この実験の結果をもって『脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである』ってのはちょっと無理があるような。
「出力」が大切である、というのは賛成なのですけどね。
0 件のコメント:
コメントを投稿