2013年3月12日火曜日

教育温故知新


NEX-5 + 135mm F2.8 [T4.5] STF SAL135F28


 ちょっと長いけれど、まずは引用から。
 その中でもっとも期待されたのは新設の社会科を中心に据えた教育で、教室の外にある生産、消費、あるいは通信、交通といった現実社会の動きの中から学習のテーマをえらび出し、そのテーマを勉強する過程で読む、書く、計算するといった基礎学力を養うのが、社会科中心の教育だった。この方式を一歩すすめて、より現実社会に密着した形で、ということは生活の周辺にテーマを設定しということだが、社会科中心の教育を行なおうとしたのがコア・カリキュラムと呼ばれる方式である。
 地域の実態を学習させながら、それが生徒たちの生活にどうかかわり合っているか、あるいはそこに問題があれば、その問題を解決するためにどうすべきかを考えるということで、実際の授業では、中心に地域社会の生産、消費、歴史といった社会科の問題を据え、そのまわりに関連する読みや計算などの基礎的な勉強を緊密に配置するものになり、これを単元学習と呼んだのである。

 この話はいつの時代のものだと思いますか?
 かなり先進的な教育方法だと思う方もいるかもしれませんが、実は、第二次大戦後すぐ、昭和24年頃の話だそうです。引用元は藤沢周平さんの自伝『半生の記』から。Kindle で読んでるのでページ数は表記できませんが、位置No.980です(そういえば、電子書籍からの引用って引用元の記載方法の標準はあるのですかね?)。

 さて、こういう教育はいったいどこへ行ってしまったのでしょうね?
 記憶重視の教育に変わっていったのはどうしてなのか?
 こういう教育方法は手間がかかるので、子どもの増加に対応しきれなくなったのでしょうか?
 偏差値教育は学生運動やらの対策として従順な国民を生みだすべく学生の価値観に枠を嵌めるために生まれたもの、というような話をどこかで読んだことがありますが、そうした影響なのでしょうか?




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