2011年3月22日火曜日

政治不信と議会制民主主義について思うこと

チョコレート
チョコレート posted by (C)nonkuri EOS Kiss X2 + EF100mm F2.8Lマクロ IS USM


 政治不信うんぬん言われて久しいですが、個人的には、人々が信じられなくなっているのは政治ではなく、議会制民主主義というシステムそのものなのではないかと思っています。もう長いこと議会制民主主義・間接民主主義というシステムで国を運営しているわけですが、その抱える課題というものについてみんなが薄々感づき始めたのでしょう。

 間接民主主義というのは、自分で判断するよりも、この人に任せた方がいいという認識のもとになされるシステムです。皆が自分で判断したほうがましだと思うようになったら有効に成立しない。
 以前は、一般の人と政治的活動をする人たちの間に著しい情報格差がありました。そういう状況の元では、一般の人々は国家の施策というものについて限定的にしか考えることが難しかったし、政治的活動をする人たちの判断の適否を考えることも難しかったわけです。
 それが各種の報道、批評がなされる中で、誰もが議論し判断することが容易になった。本当に的確な判断をしているかどうかは別として、誰もが自分が的確な判断をできると思うようなった。同時に政治的活動をする人たちの判断に誤りも、それが本当に誤りであるかは別として、認識できるようになった。
 となれば、あとは、人に任せるよりすべての施策について自分で判断したいと思うようになるのは当然ですよね。
 
 
 

2 件のコメント:

shin さんのコメント...

確かに今の政治制度は今の僕らにしっくりきていないですね。
でもじゃあどうすればいいのかと考えてもいい案が浮かびません。
少なくとも声の大きい人にろくな人はいない。
僕はやりたがるひとに任せることに問題があるような気がしています。
やりたがらないひとや、いやいや引受ざるを得ない人が政治をするとよくなるような気がするんですが。
そういえば最近菅首相が「好んで(首相に)なったわけではない」と言ったとか言わなかったとか。
うーん、そうなのかな。いやいやなったようにはあんまり見えないけど。

のんくり さんのコメント...

今のシステムの問題点は、多数派の意見が実際の政策に反映されるわけではない、というところにあると思っています。
実際の政策は何人かの(公に保証されたものとは別の)権力者の判断次第になってしまう。

個人的には、民主主義の政治システムでは次のようなことが必要だと思います。

そのコミュニティの多数派の意見が政策に反映されること。
ただし、その際に少数の人に過度の負担をさせないこと。


そういった意味では、現状のシステムは過渡的なものなのかもしれません。
将来的には(遠い未来かもしれませんが)技術的に解決できるようになると、割と楽観的に考えていますが。