2010年3月8日月曜日
美味しい料理より不味い食べ物こそ 『つまみぐい文学食堂』 柴田元幸
トカゲ posted by (C)nonkuri EOS Kiss X2 + EF100mm F2.8Lマクロ IS USM
翻訳家 柴田元幸氏による「食」を切り口とした文学エッセイ。作中で引用される文章は、英語の作品については既訳本があるものでも基本的に柴田氏が翻訳している。
あとがき対談でも書かれているとおり、美味しい料理を食べている話題よりも、不味いものに関する話、あるいは食べ損なった話が多い。おそらくは、文学というものが、幸福をテーマにするより不幸をテーマにすることが多いからだろう。その多様な不味さ、食べられない悲しさ・切なさに感動する、かどうかはわからないけれど、心を揺さぶられるのは確かである。
話がずれるが、子供の頃、本を読んでいて、もっとも美味しそうだったのは、『西遊記』に登場する「蟠桃会」で食される桃である。「蟠桃会」というのは西王母(中国で古くから信仰されている偉い仙女)の誕生会で、そこでは、天界の桃園「蟠桃園」の桃が振る舞われる。桃園には3,600本の桃の木があり、手前の1,200本は3000年に一度実をつけそれを食べると仙人になれる。真ん中の1,200本は6000年に一度実をつけ、それを食べると不老不死になる。一番奥の1,200本は9000年に一度実をつけ、それを食べると天地があらんかぎり生き長らえる。もちろん、味もとても素晴らしい(というようなことが書かれていた)。
『西遊記』を初めて読んだのは、たしか小学校3年生の夏休みであった。それまで、わたしは桃というと桃缶(黄桃のシロップ漬け)しか食べたことがなかった。これは甘ったるいだけで食感もそれほどよくなく、とても感動するようなものではない。天界の桃というのはそれに比べてどんなに素晴らしいものかと、読み終えたあともずっと考えていた。
『つまみぐい文学食堂』の話に戻す。
この本を読んで何よりも感じるのは本に対する空腹感・飢餓感である。自分の知らない魅力的な小説がたくさんあることに気付かされ、もっともっと本を、小説を読みたくなる。
しかし、人生はまことに短い。不老不死とはいわないから、仙人になれれば十分だから「蟠桃園」の桃食べたいものだ。
つまみぐい文学食堂
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