2010年2月26日金曜日

文章を書くということ

葉牡丹
葉牡丹 posted by (C)nonkuri EOS Kiss X2 + EF100mm F2.8Lマクロ IS USM


 世の中には、すらすらと文章を書ける人もいれば、すらすらとは書けない人もいる。
 で、たぶん、すらすら書けない人には概ね2種類の人がいる。伝えたいことがあるけれどうまく文章にできない人と、特に伝えたいことはないけれど文章は書きたいという人だ。
 伝えたいことがないのなら文章なんか書きたいとは思わないのではないか、という疑問を抱く人もいるかもしれない。ところが、案外そうでもない。社内報などに寄稿を頼まれて断り切れずにうんうん唸っている、とかそういう事情がある場合もあるが、ここで言いたいのはそういうことではない。
 文章を書きたいという、ある種の本能的な欲望を持つ人もいるということだ。何かを作り出すことの楽しさのうち、主に文章を書くという方向に楽しさを感じる人々がいるということだ。その人が物語を作りたいという方向性を併せ持つ人ならば小説を書くだろうし、物語を作ることに興味が感じられなければエッセイを書いたりしているのかもしれない。

 ただ、そういう欲望を持った人が、いつも文章を紡ぎ出せるとは限らない。むしろそうでない人の方が多いのではないかと思う。ある人は毎日うんうん苦しんでいるが、結局何も生み出せないまま月日が過ぎ去っていく。書いたのはいいけれど、気に入らないので全部消してもう一度書き直すということを繰り返している人もいるかもしれない。文章を書くということは、鍛錬は必要だけれども、鍛錬だけではどうしようもない問題なのである。

 で、何が言いたいかというと。
 すらすら文章が書ける人は凄いなぁ、そして多くの文章を読めるのは幸せなことだなぁ、ということです。

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